蒼穹のファフナーTHE BEYOND 6話『その傍らに』感想

蒼穹のファフナーTHE BEYOND 46話を見て、来主操と羽佐間容子のやり取りに驚きと衝撃を受けた感想です。ガッツリネタバレありますので注意。





海神島に戻って早々、当たり前のように羽佐間家に帰り容子さん(人間)を「おかあさん!」と呼ぶ操(フェストゥム生まれ現エレメント)、死ぬほど驚いた。同時に、容子さんが再び母親として子どもを育てる()器となった運命に泣いた。



EXODUSで操がマークドライツェンに搭乗して容子さんと会話するシーンを見てから、この展開は薄々予感していたものの実際に見せられると目玉が溢れるぐらい驚いた。だって、操は見た目がどれだけ人間でエレメントであろうと、フェストゥムから生まれた存在なわけで。そんな彼をEXODUSからBEYONDの間に「お母さん」と呼ばれるに至るって。容子さん、続けて2人も子どもを失っているのに、また子を育てるって因果すぎません?


そしてBEYOND 6話『その傍らに』。ブルクでドライツェンの大破した未来を予見した操と容子さんのやり取り。

「お母さん、僕もうすぐ死ぬみたい」

「お母さんを選んでよかった。だってお母さんは子どもが死ぬことに慣れてるでしょ?」

「僕が死んだら2人と同じように僕を飾って」(セリフうろ覚え)

いやおまえ、よりにもよって容子さんになんてこと言うんだ!甲洋もあきれてるでしょ!!

純粋に2代目操が早くも死んでしまう悲しみと、容子さんに対する発言に対する怒りと、そしてフェストゥムである操が「自分の存在を忘れないで」と言外に願っている事に、人とフェストゥムの対話の一つの答えを見た気がしました。


操は、あえて容子さんを母親に選んだんですよね。それは何故か?操の言葉を借りれば、容子さんは子どもを失う事に慣れている。容子さんなら、自分の血の繋がらない子どもでも、その死を悼んで写真を飾り、存在を忘れないでいてくれる。それを知ってるから操は容子さんを自分のお母さんに選んだ。操は容子さんに、自分も翔子やカノンにしたように、そうしてほしいと願った。


存在が無に還ることの恐怖を感じるフェストゥムから、一歩進んで、操は「自分の死を悼んでほしい」「僕がここにいた事を忘れないほしい」という弔いの気持ちを持ったという事ですよね。それってすごく人間らしい心じゃないですか?生と死という生物の大枠からさらに進んで、人間だけが持つ『死への弔い』という概念をフェストゥムが獲得した。かつて芹ちゃんがフェストゥムのお墓を作った事が、来主操で遂に実を結びつつある。


もうなんというか、15年の作品の歩みの足跡をはっきりと感じて胸が詰まりました。そしてその後、操が美羽ちゃんとの会話を経て、ボレアリオスで座り込んで涙を流す様子も衝撃でした。

「美羽を食べていい?」

「僕が死ぬとお母さんが悲しむんだ」

「ごめんなさい。1人で死ぬよ」(セリフうろ覚え)

操は1人で逝く事の孤独や、自分の避けられぬ死によって母親を悲しませる事への悔しさ、自分の存在が終わることへの恐怖。いろいろなことを感じていたのかもしれない。それに対して一騎が。

「おまえが逝く時は俺たちがそばにいる」

EXODUSの最後に存在と無の地平線から一騎を救いあげた操を、今度は一騎が見送る。そんなの泣いてしまう。


つまりとにかく、フェストゥムである操が自分の存在を忘れないでほしいという、蒼穹のファフナーの核心に迫った事が衝撃であり、祝福なんだなと思ったという感想でした。お願いだから、これ以上容子さんから子どもを奪わないで…。